エッセイ

エッセイ Vo.1

・エッセイばかり、読む。

読書は、あまり得意じゃない。

というのも、そもそも小さな頃からそんなに本を読んでいなかったような気がする。ゲーム特化型でしたので。

本格的に小説を読むようになったのも、大学に入ってからだった。本屋大賞受賞作品を全部買い揃えてみたりして。形から入るタイプなんでね。

ただ未だに小説は慣れない。

なんというか、フィクションにあまり自分自身気持ちが入り込めない。SFくらい行ききってくれていたならば、娯楽として楽しめるんだけれども。

そんな私でも楽しめるのが、エッセイ。

芸能人からスポーツ選手、作家や哲学者まで。

もう世の中のありとあらゆる人間が一人称視点で己の考えを、日常を語る。これが面白い。

雲の上の存在のような人であっても、自分と同じようなことを考えている人間なんだと思えるし。

最近の世の中、特にSNSなんかは強い言葉で主張することが流行っている。悪いやつは攻撃してもいいんだとばかりに、正義の剣を今日も誰かが振り回している。

ああ、エッセイみたいなどうでもいい話が流行って欲しい。だから私はこれからもエッセイを読むし、自分もそのもどきをここに残すことにした。

現実の厳しさや苦しさに目を背けているわけじゃない。

私は現実のどうでもいい所に光を当てたいだけだ。


・教養の強要

私の嫌いな言葉に、教養というものがある。

これは本屋に行った時に1番見る単語かもしれない。

教養としての〇〇。ビジネスマンなら知っておきたい教養〇〇。一番酷いもので小学生なら知っておきたい教養、なんて本も出ている。

教養ってそんなものじゃないだろう。知っておかなければならないことなんて法律と他人が嫌がることくらいであって、あとは全て自己満足なんじゃないかと私は思っているんでね。教養人ごっこ遊びはここまでにしませんか。ただ暗記ゲームをしているだけであって、そこに豊かな世界は広がっていないんじゃないかな。

1番大事なのは知識じゃない。どのように物事に向き合うか、その姿勢だと考えている。それが結果としてその人それぞれの個性に繋がり、各々の味になる。

量産型ビジネスマンにならぬように、今日も私は教養という言葉に抗うのであった。


・思い出

私はあまり思い出を振り返ることが無い。なぜなら今この瞬間が最も大事であり、ピークであるべきだと考えているからだ。正直昔のことなんて、どうでもいい。

今残っているものが全てであって、過去なんてバナナの皮やりんごの芯みたいなもんだ。

今を生きるための肥料にはなれど、それ自体が食べられるものでも美味しいものでもない。

ただ記録することは逆に好きで、学生時代は日記を書いていた時期もあったくらい。今はSNSで嫌がらせのように投稿することで残すことができている。メタ社が潰れるのが先か、私がこの世から去るのが先か。

ほぼ間違いなく後者であるので、これで問題ない。

誰かに見てもらいたいわけでも、自慢している訳でもない。ただただ、記録している。

矛盾しているようだが、これにも意図がある。

記録することで自分の頭の中にある思い出や考えを整理し、より今に集中できるのだ。

だから見返すこともほぼ無い。記録した瞬間、ゴールしている。残すことで次に移ることができる。

昔は良かったとか、あの頃は輝いていたとか。だめだろう、そんなことを言い出したら。そうなった瞬間もう今を生きることを辞めているような気がする。

確かに考えてみれば最高の瞬間は沢山思い出せる。

ただ今このどうでもいい文章を書いている、

この今が人生で1番最高の瞬間と言いたい。


・日焼け

また自分が黒くなってきていることで夏が近づいているのを感じる。今年こそは日焼け止めを塗ろう、そう強く誓ったはずなのに。問題は自分が思っていた以上に本来は色白で、なおかつ一瞬でこんがりと焼けやすいという点だ。

時計焼けが酷い。なんだこれは、白い時計か?

趣味はスポーツかサーフィンですか?と社会人になって何回聞かれたことか。いや外で存在してただけなんです。

逆に世の中の人間はなぜあんなにすぐに焼けたりしないんだろうか、日焼け止めってそんなに早い時期から塗るもんなんだろうか。謎は尽きない。

肌に良くないよ。んな事わかってるし、見たらわかる。将来シミになるよって、そんなもんいくらでもレーザーで潰したるわ、かかってこい!!

日焼け止め、明日買おう。


・自称、若者。

25歳3か月の自分のことをまだ若者と定義していたが、甘かった。こないだ竹下通りを通った時にそれを実感したね、ああ中高生が本当の若者なんだと。若者文化を担っているのは、そこなんだと。

私はその世界の住人ではなかったし、異なる言語がそこでは響き渡っていたように感じた。

ふと気になって調べてみると、国連の若者(Youth)の定義は15歳から24歳らしい。もう自覚なく脱退していたようだ。それを3か月で自覚できた事だけでもまだ救いがあるような気さえした。

確かにこれくらいの年でそれぞれ社会的責任も生まれてきて、自分の居場所というものが次のフェーズに移っていくような気がする。モラトリアムから抜け出し、各々がそれぞれの役割を担っていく。

結構なことではないですか。よろしいよろしい。

え、私ですか?一応ちゃんと働いてはいますし、ある程度の責任は果たしているつもりですけど!

いや、自覚はある。働いてはいるが、まだモラトリアムの中をまどろんでいる。

ただ世間体を気にするほど私は弱くなったつもりはないぞ。私は私なりの答えを求めて、今日も明日も楽しいを徹底的に追求するんだ。

まあ、あと2年くらいかな。とりあえずそれまではこの方針を突き詰めていきたいと考えている。

大切なのは過去でも未来でもない。今この瞬間だから。

さてと、ダイアンユースケのエッセイの続きでも読もう。

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