エッセイ

日常に余白を

おはようございます。珍しく朝に書き出しております。そういえば、私は中学3年生の1年間だけ塾に通っていたのですが、その時の塾はどんな時間帯でも挨拶はおはようございますでした。意味がわからん。時間感覚をバグらせて、自習を無限にさせようとしていたのかな。

まさに師走、繁忙期12月

もう年末も年末、これを今書いている時点で、あと1週間ほどで今年が終わります。本当にこの1年間も早かった。歳を取ればとるほど時が経つのは早くなるといいますが、いやいやまだまだ若いはず。まだ認められません。そもそも1年間が短いということにしておきましょう。

年末になるとやはり、忘年会(私は仲間内でやる小規模なものしか参加しませんが、、。)であったり、大掃除であったり、はたまたやり残したことを行ったり、とにかく忙しい。いつもの比ではありません。まさに師走です。

そうなってくると普段いつも何かしなきゃ、何かしなきゃと思っている私でさえも、暇が恋しくなります。これは、時間にゆとりを持っていたいという精神面の意味も、また体を休める期間が欲しいという身体面の意味も含んだ考えと言えるでしょう。

やはり人間、何もしない日というのが必要なんだと改めて感じさせられたわけです。そのように考えていた中で、ある1つの美的感覚を思い出しました。

余白の美

それは日本人特有の美的感覚としてもよく指摘される、余白の美です。

日本美術の歴史の中で、画家たちが大切にしてきたことがあります。それは「余白」に詩情を込める、ということです。背景を細密に描きこみ、科学的な目で空間を再現することが多かった西洋の表現とな異なり、日本の絵画は「描かない」余白に大きな意味を込めて、空間の「遠さ」や「広がり」などを表現します。それが日本画独特の詩情を生み、鑑賞者は吸い込まれるように絵の世界に誘われるのです。この展覧会では「余白の美」をテーマに近代の日本画を紹介し、日本画が織り成す空間の美しさを改めて見直します。

www.museum.or.jp

こちらは、過去に京都市学校歴史博物館にて行われていた、『近代京都画壇の名品にみる「日本画 余白の美」』という展示会の説明文の引用です。ここでも述べられている通り、日本美術では余白を残す事で、その作品に深みを持たせるということが広く行われています。

この余白の美は、美術作品にのみ適用されるような小さな概念ではなく、どのような分野においても適応できる大きな概念であると私は考えています。その1つの例として挙げたいものが、笑いにおける間です。

いくらその人の話している内容が面白いものであったり、オチがしっかりついた話であっても、間が悪ければその話で笑いを取る事は難しいです。その反対につまらなく、オチのない話であっても間さえ上手に利用することができれば、それはもう面白い話となりうるのです。芸人の方々はそのテクニックがあり、だからこそ面白い。尊敬し続けております。まさに余白の美ではないでしょうか。

何もない日は無駄じゃない

兎にも角にも、余白というものはどのような分野においても大事であると私は考えています。そしてそれは日常生活においても適用できるのではないか、そうも考えたわけです。

何もしなかった日があるからこそ、何かをする日がより効率の良いものになります。それは前述した通り、精神面でも身体面でもです。引用文の言葉を改めて借用するならば、より生活に「広がり」を生み出すことができるといえるでしょう。

ですから、予定がなくてカレンダーに余白があっても、もう嘆かないでください。それは芸術です。余白の美です。誰かに指摘されてもそう言い張ってください。まあ、全部が空白の場合は、、、。予定を入れましょう。

反対に毎日が忙しい方は、積極的に何もない日=余白を入れてみてはいかがでしょうか。何もない日、万歳!!!それでは、メリークリスマス。

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