『竜とそばかすの姫』賛否両論の訳、名作となるためには

この投稿は個人の意見です。皆さんの感性を批判するような意図は一切ありません。そこんとこ、ご了承を。

どうも皆さんこんばんは、私です。実はこの記事、ほぼ完成まで書けていたのですが、誤ってデータを消去してしまったため、泣きながら書き直しています。しかし、どうしても言わせていただきたかった、主張したかったことがあるのです。慈悲深いお気持ちで読んでいってくださいな。

竜とそばかすの姫

皆さんは細田守監督による今話題沸騰中の作品である『竜とそばかすの姫』、もうご覧になりましたでしょうか。主題歌を、私が今最も尊敬しているアーティストの一人である常田大希さんが行っているプロジェクト、Millennium Paradeが担当しており、また予告編をみていて、世界観の作り込みが非常にすばらしいと感じていたため、観ることを非常に楽しみにしておりました。

が、しかし、、、。

映画を観始め、121分が経ち、映画館の灯りが再び灯った時、私が抱いていた感情は喜びではなく、悲しみだったのです。無類のアニメ好きであり、アニメを語らせると右に出る者はいない、一緒に観に行っていた右隣に座っている友人の抱いていた感情もまた、同じものでした。これは、期待外れだ、、、名作などではない、、、。そう感じてしまったのでした。

ここからは多少のネタバレが入ります。多少ね。

竜とそばかすの姫が抱える問題点

ここからは私が考える本作品の問題点を2つ、簡潔に説明しましょう。

①展開が無茶苦茶すぎる

この問題点は視聴した人の多くが感じたことかもしれません。とにかく脚本、その展開に不可解な点が多いのです。描きたいシーンから逆算して脚本を無理やり作っているような、行き当たりばったりな展開の連続なのです。

いやいや!!そうはならんやろ!!いやまてまて、なんでやねん!!まてまてまて!!危ない危ない!!なにしてんねん!!

声が出そうになりました、ツッコミどころが多すぎる。映画館ではお静かに。

②社会へ問題提起、しかし投げっぱなし

これが、これこそが最も大きな問題点なのです。実は本作品は予告編ではあまり分かりませんが、インターネット上の誹謗中傷、過剰な正義感、児童相談所の対応問題、そして虐待など、様々な社会問題について取り扱った作品でもあります。

我々はそのような問題に対して、真剣に議論をし、そして解決に向けて歩んでいかなければなりません。それはもちろん当然です。しかし、本作品では、ただ問題を提示するだけであり、重要なその先についてはお茶を濁すように、ファンタジーで乗り切ろうとしてしまうのです。

ここからはしっかりネタバレ

ここからは、私が前述した2つの問題点がしっかり、がっつりと現れてしまっていた展開を、ネタバレありで紹介してゆきます。

ネタバレ、注意。注意。

竜の正体が東京に住んでいる、父親から虐待を受けている少年だと判明します。高知の田舎に住む主人公(女子高生)は、どうにかして少年を救いたいと考えます。児童相談所に連絡をしても、早急には対応してもらえない。困った主人公がそこで取った行動は、なんと、、、単身でその子たちに会いに行く、だったのです、、、、。

いやいや、周りの大人、なにしてんねん。周りの同級生、なにしてんねん。危ないとかそういうレベル超えてるよ。不用意すぎるだろう。思い立ったが吉日、じゃないんだよ。

そして東京に来た主人公に、またファンタジーの妖精が味方します。なんと奇跡的に少年と合流するのです、、、。そこで虐待を行っている父親と主人公(女子高生!!!)が対峙することとなるのですが、ここで、さらにさらにファンタジーが降り注ぎます。少年たちの前で両手を広げ、父親に立ち向かうのです、、。

そして、父親は少女を少しばかり傷つけた後、何故か大声をあげてその場を後にしました、、、。その姿を見た少年は、父親に対して立ち向かってゆくことを主人公に誓ったのでした、めでたしめでたし、、、。

意味がわからん!!

はい、ご覧の通り、なんの解決にもなっていないのです。もうちょいなんとかならんかったんか、、。

賛否両論の訳、そして名作となるには

しかしこの作品、とても良かった点もあります。それは細田守監督による圧倒的な映像美、そして主題歌をはじめとする音楽です。これについては文句のつけ所のない完成度でした。

私はこのnoteを書くにあたって多くのレビューを見ていたのですが、そこから賛否両論の理由が少し見えてきました。

それは、高評価している人の多くは、映像美や音楽を評価している、つまりミュージカル作品としてこの作品を批評しており、一方低評価を行っている人の多くは、社会への問題提起を行っている脚本について評価している、つまり社会派作品としてこの作品を批評している、ということです。

ここで、映画を評価する視点の乖離が産まれているのです。この点が、賛否両論を産んでいる原因であると考えています。

映画だけでなく、創作物全般に言えることですが、世間の多くの人に名作と認められるような作品を作る為には、製作者の表現したいもの、伝えたいことの芯が通っていなければならないのです。思いつくままに様々な要素を取り入れるだけでは不十分なのです。それでは闇鍋です。

本作品は美女と野獣のオマージュ作品としてミュージカルをしたかったのか、はたまた社会問題を取り入れ、世間に対して問題提起を行いたかったのか、そのどちらもしたかったのか。ここが不十分で、曖昧となってしまっているからこそ、観る側の意見が分かれることとなってしまったのです。

やるからには、芯が無ければならないのです。社会へ問題提起を行うなら、ファンタジーに逃げてしまってはいけないのです。映像美、音楽の素晴らしさがあったからこそ、この点が非常に残念でなりません。

ファンタジーと捉えるには社会問題の描写が露骨すぎる、また社会派作品と捉えるには、ファンタジーに逃げすぎている。

このどっちつかずの宙ぶらりんの状況をせめてどちらかに振り切っておけば、間違いなく今以上の評価は得られたと、私は考えています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。ぜひ良ければ皆さんが観た感想、聞かせてくださいね。

ああ、、、書けた、、、。徹夜で、、。

それでは、みなさん、おやすみなさい。

もとの記事:noteで読む

← 記事一覧へ戻る